少年サッカーの父兄や指導者と話ししてました。
そこで、ああそうか、
自分が子供達や夢屋と関わっているなかで求めている究極は、
《生きていく知恵》
なんだなと。
知が合理的であろうが、不合理であろうが、
そんなことの大切な向こうには、もっと大切な、
自分達にとって《恵》があるのかな?ということだと。
どれくらい長いスパンで、その《恵》を感じ、考えることができるかな、と。
その一番長いスパン、先は、最終的には死の間際になるんだな、と。
そんなかに、快食快眠快便や振る舞いも入ってしまうんかな、と。
そんなことを、
つらつら考えてしまいました。
チャンチャン!